かおりのギニア便り
(サパの活動地にすむ人々のくらし)
この記事は「サパ=西アフリカの人達を支援する会」の活動地のひとつ、ギニア共和国の現地で活動している日本人女性であるかおりさんの取材したレポートおよびエッセイよりなりたっています。

通常の活動報告に漏れてしまうような生のリポートを掲載し、現地に住んでいる人々の生活が具体的に見えるよう気をくばりました。

サパの定款に「女性の生活改善」も掲げていますが、そこに住んでいる彼女たちの要望をいくらかでも知り、そしていくらかでも、支えることができるようになればと考えています。

お読み下さって忌憚のないご意見をお願いします。
メール送り先:サパ=西アフリカの人達を支援する会 理事長あて
   mailto:yumi-cat@tb3.so-net.ne.jp

◆◇ ギニア共和国のあらまし
◆◇ 一夫多妻
◆◇ 女の手のまめ
◆◇ カンパの女の暮らし
◆◇ サナワリア村:女性への割礼

◇ ギニア共和国のあらまし ◇
面積:24.6万平方キロ(日本の66%)
人口:780 万人
気候:北部は湿地が多く、年間雨量も1000ミリ前後。中部は山岳地帯で西アフリカ唯一の熱帯雨林となり、ニジェール、セネガル、ガンビアの各大河の水源となっている。南部は一部がギニア湾に接し、雨量も3000ミリに達する多雨地帯である。サパの主な活動地であるサナワリア村は南部に属している。
民族:マリンケ(34%)、フーラ(29%)、スースー(17%)、その他(20%)の種族で構成されている。

◇ 一夫多妻 ◇

報告者:かおりさん
取材地:ギニア共和国ドウブリカ県サナワリア村カンバ集落
位 置:ラマヤセンターより約12キロ
人 口:約240名(内女性67名、子供130名)
名 前:ブントラビ・カマラ
性 別:女性
年 齢:不明
傍らにいる子供2人は彼女の娘と息子です。
●多くの女性は出生届けをしておらず、彼女は自分でも年齢が分かりません。ちなみに、本人へ大体何歳位だと思う?と質問したところ、彼女は20才だと言いましたが、彼女はすでに6人の子供がいますので20才とはありえませんね。このおおらかさもアフリカです。
●彼女は義務教育を受けていません。日々、家業に負われているからです。女性の多くが同じような状況で、フランス語が話せる人も殆どいません。カンバにある小学校(SUPA建設による)に通う生徒も圧倒的に男子が多いです。
サパからの注:
ギニアの公用語はフランス語で、学校教育もフランス語で行われています。実際の生活はその人の属する族用語によっておこなわれており、ほとんどは文字がありません。最近はアルファベットで書けるようになって来ていますが、学校教育を受けなければそれもできません。
●家族構成:彼女は第一夫人で彼女の子供6人いますが、それ以外に第二夫人、第二夫人の子供一人、夫の母親と暮らしています。この一夫多妻制については非常に理解しがたいシステムですが、もともと戦争で夫を失った未亡人の救済措置であると言う説が有力です。
●主な収入源:彼女の夫は農夫で、農作物が売れるまでの収穫は殆ど無いと言ってよいでしょう。彼女の家族のみではなく、殆どの家族が同じような状況です。唯一の現金収入は、女性による薪から炭をつくり、それを束にしたものを売って得ています。
●女性の結婚適齢期:通常、18才くらいで結婚することが多く、第一夫人ならまだしも第二夫人として嫁ぐ場合は、第一夫人との関係で苦労することが多いと聞きます。
●男性の結婚:現場(サパの活動の現場)では複数の妻を持つ男性は非常に多く、特に村落部に多いと言えます。彼らは同じ敷地内に小屋を建て、それぞれ第一夫人、第二夫人、子供達の小屋、自分の小屋と持っています。常に、夫は第一夫人、第二夫人を平等に扱わなければならず、ある程度経済力が無ければ、養えないことになります。
●職業:サナワリア地区周辺の村落部では、殆どが農民で、栽培している作物は陸稲、落花生、ミレット(稗)、とうもろこしなどです。
●女性の役割、位置づけ:女性の役割は非常に重要であり、家庭を支えていく上で彼女たちは必要不可欠な存在と言えます。農家であれば畑の耕作、収穫はもちろんのこと、薪集め、水汲み等全て女性の仕事です。一方、男性は収穫までの数ヶ月間のみ働き、後は何もしないといった具合だそう。(複数の女性からの回答)
ここでも女性の強さを痛感すると同時に時には働き続ける女性の横で無駄話に興じる男性陣を見ると苛立ちを感じるのは私だけでしょうか。
●家計:夫から現金を受取ることはゼロだといっています。では、どのようにして現金を確保しているのでしょうか?たとえば、ある女性は薪から炭をつくり、それを売って、その収入で現金を確保しているそうです。

◇ 女の手のまめ ◇

報告者:かおりさん
取材地:ギニア共和国ドウブリカ県サナワリア村カンバ集落
位 置:ラマヤセンターより約12キロ
ブントラビさんへの取材中にとつぜんわりこんできた女性です(写真右)。自分の右手を差し出し、働きすぎでまめができている様子を訴えました。
自分達のみならず、子供達の衣服を買うためのお金も女性達が作っているのです。 
今回は少ない時間を利用してのインタビューでしたが、今後、村へ入る度にすこしずつ彼女達の生活を見ていこうと考えています。
カンバ小学校(SUPAによる建設)の前で。マリの栄養実地講習に集まった幼い子供達を持つ母親達。右下のブントラビさんへ質問しているとき、皆口をそろえて「私達は一日中働いていて、男性は何一つ手伝ってはくれない。私達は疲れきっている」と訴えていました。
サパからの注:
サパの活動地は、給水設備はなく、川の水、乾期はたまり水を飲用水、生活用水に使用。電気なし、太陽が出て起き出し暗くなったら寝る。ガスなどの燃料はなく、周囲の木々を焚いてその用をたしている。小中学校なし、医院、病院なし、病気の場合はほとんどまじない師によって治療?が行われている。サパではこのサナワリア地区には小学校を2校建設、有機農業の指導、農業研修センター(宿舎付有機農業教育施設)、保健衛生士に寄る保健衛生指導 育児指導、生活指導、栄養指導などを行っています。季節は乾期11月〜4月頃まで、それ以外は雨期である。 

◇ カンパの女の暮らし ◇
報告者:かおりさん
取材地:ギニア共和国ドウブリカ県サナワリア村カンバ集落
位 置:ラマヤセンターより約12キロ
人 口:約240名(内女性67名、子供130名)
名 前:マリヤマ・カマラ
性 別:女性
年 齢:不明
前記のブントラビ カマラさんに続いてもうひとりサナワリア村の女性へのインタビューです。 

Q:お名前をおしえてください。
A:「マリヤマ・カマラです。」 

Q:もし良ければ年齢を教えて下さい。
A:ウーン。(しばらく黙って考えて・・)(恥ずかしそうに・・)
分かりません。(見た目は40歳前後です) 

Q:自分では何歳だと思いますか?
A:うーん、それも分かりません

Q:結婚した年齢(推定)は?
A:もう、ずっと昔です。(おそらく15、6歳です) 私は夫の第1夫人です。

Q:どこからとついできましたか。
A:同じ村出身です。カレア集落です。 

Q:国籍は?
A:ギニア です。
(アフリカはもとより、ギニアの周辺国は紛争がたえません。ギニアはその中でも比較的穏やかです。そのため、長いこと難民、流民が入ってきております。)  

Q:種族は?
A:プル族です。 

Q:何人兄妹ですか。
A: 8人兄弟です。 

Q:お父さんお母さんはどこに住んでいますか。
A:母親は亡くなりました。父親は隣町に住んでいます。 

Q:最終学歴は?
A:コーラン学校です。(これは寺子屋のような場所に子ども達が放課後の時間に集り、マラブー(イスラムのお坊さん)の師事のもとコーランを唱え暗唱するのです) 

Q:夫の職業は?
A:農夫です。 

Q:収入源は?
A:畑での作物は家族の食料のみですが、現金を得る為には木を切り、それを炭にして売って得ています。 

Q:子供の性別と年齢と数を教えて下さい。
A:男の子4人、女の子1人です。年齢は不明です。 

Q:家族は何人ですか。(家族構成)
A:9人家族です。夫には第2夫人と子供が一人いますのであわせて9人家族です。 

Q:朝、食事は何時頃ですか。
A:時間は分からないが、お祈りの後にします。(大体午前7時頃か) 

Q:食事の支度をしますか。
A:はい。毎日の仕事です。 

Q:ひとりでしますか。  ひとりでなかったら誰とつくりますか。
A:女性達のみで作ります。 

Q:1日のうちで貴女が1番楽しい時はいつですか。
(例えば、食事の時、おしゃべりするときなど)
A:午後昼食後に一休みできます。 

Q:1年のうちで最もたのしみにしていることはなにですか。
(たとえば、お祭り、 収穫祭 など)
A:作物の収穫時です。 

Q:貴女が今来ているドレスは、どこで手にいれましたか。お金はどうしましたか。
A: 炭を売ってお金にしています。そのお金で子供の服や自分の服を買います。 

Q:貴女は、お小遣いはありますか。
A:ありません。 

Q:家計費は誰がだしますか。主食費、住居費、副食費、教育費(学校で必要になるお金)、被服費、医療費など
A:ほとんどすべて女性達が調達します。夫はお金を持っていたとしても私達妻には渡してくれません。たまに食料を持ってきてくれますがお金は無いので、工面が大変です。 

Q:貴女はどのようにして、収入を得ますか。
A:木を切って炭を作ります。それを売ってお金を作っています。 

Q:家庭の中で、物事の決定権、遺産の相続権、子供の親権はそれぞれ誰がが持っていますか。
A:夫です。 

Q:村などの代表、会議などに女性は参加しますか。
A:ほとんど参加しません。 

Q:こんな質問を受けての感想
A:もっと収入がほしいので助けてもらいたい。子供の病気の薬がほしい。 
ギニアの人達は年齢がみなはっきりしません。これは、「そのような文化だから」ということです。「日本人はすぐ「あの人は何歳」とすぐ年齢をしりたがる。生まれた日時などそんなに大切ではない。」と日本に留学していたギニアの青年に言われたことがあります。 

◇ サナワリア村:女性への割礼 ◇
ラマヤセンターにて肥料製造の協力をしてくれている女性達。
4月26日、マリとオスマンと3人でキンディアへ行ってきました。キンディアへ向う道中、マリとオスマンへギニアにおける慣習についていろいろと聞きました。中でも私の興味を引いたのは「女性の割礼」についてです。やはり私も女性だからでしょうか。
私がアフリカの地を踏む前から、「女性の割礼」について2つの本を通して、知っていました。「裸のアマン」、「デザートフラワー(砂漠の花)」です。 
実話が描かれた本の中で主人公の女性は「割礼を受けた後、波乱万丈の人生の末、国境を渡り、たどりついた新しい国で現在は幸せな生活を営んでいる」と言う物語です。
それらの本にある女性の割礼の方法は身の毛もよだつようなすさまじい内容でした。女性としてこんな慣習があってよいものなのかと腹立たしい思いを抱いたほどです。
あれから数年後、実際割礼を実際受けた人と対話する機会を得ました。
直接話を聞いてみたかった私は多少興奮していたことを覚えています。しかし、実際会って話した数人の経験者の言葉に私は驚きました。
彼女たちは一様に割礼の習慣に誇りを持っているというのです。
本の主人公と同様のコメントを期待していた私は別の意味にショックでした。
彼女たちの説明によれば、現在は割礼を衛生的な病院で行われることもあり、処置できるなど、以前に比べて人体的な安全性は向上しているというのです(もちろん、出血が止まらない子や感染症に苦しむ子もいるようです)。それに、現在では儀式として、ほんの少し切除されるだけということも割礼を受け入れる要因となっているのかも知れません。
ギニア国政府はこの女性の割礼の習慣を禁止にしていますが、皆隠れて今でも行っているというのです。
何度もしつこく、聞き返すうちにわかってきたことは「割礼を受けることにより、真の魅力ある女性になると信じている」ということでした。
彼女たちの考える「真の女性」とは、皆から尊敬され、一人前の女性としてどこへと嫁ぎに出しても恥ずかしく無いということを意味しています。
要するに割礼を行った女性は周囲から尊敬され、貞淑な女性の象徴として歓迎されますが、割礼をしていない女性達は非常に低く見られがちなのです。
周囲の意識が彼女たちを割礼に走らせるのです。
女性は人に美しく見られたいと心理は万国共通だと思いますが、私は割礼をしてまで、・・・・・・・・・?です。
現在、SUPA保健衛生指導員役として活躍しているマリさんも割礼を12歳の時に受けているそうです。
ラマヤセンター付近に住んでいる双子の女の子達。いつもセンターに遊びに来ています。彼女達はまだ割礼を受けていませんが、もう直ぐ彼女達も割礼の儀式を受けるのでしょうか? 
大体何歳になった時に割礼を行うかと質問したところ、「子供が成長しきちんと食べ、多少の会話ができるようになった頃」だそうで、個人差はありますが、7歳から12歳頃に集中的に行われているようです。
何も知らない子供たちにとって割礼はどのように映るのでしょうか?

私は割礼をこれまで非常に残酷な慣習と見ていました。
今でも体を傷つけることは良くないことだと感じています。
しかし、彼女達とのコミュニケーションを通じて、認識が少し変わった気がします。それは、ギニアの女性にとって割礼は自分達自信を守るために必要な習慣だとわかった肌で感じたからです。
日本で読んだ本にあるような痛ましい世界がまだ生き続けているのかもしれません。
そのような行為は早くやめてほしいと言うのが女性としての私の切なる願いです。
しかし、一方で、割礼により、別の意味でも女性の幸せをつかんでほしいと言う気持ちも沸いてきたのも事実です。
うーん。でも、やはり、そのような慣習を受けなくても、女性の美しさを認めてくれる社会(=男性)が増えることを祈りたいです。
今回はとても悩ましいテーマでしたが、私自身が以前より、気になっていたことでしたから、あえて皆さんにもお知らせした次第です。おそらく、割礼についても所が変われば、別の見方が出てくるのでしょう。
今回お話した内容はアフリカの話です。
でも、これが、全てではないでしょう。
もし、私が別のアフリカに出会ったら、その時また、皆さんに新しいアフリカを報告します。お楽しみに。
ラーベと言う600km離れた村から来て、コナクリでの民族フェスティバルに参加していたプル族の女の子です。このヘアスタイルはプル族の女性の伝統的なヘアスタイルです。孔雀のように美しいですね。